2024
11
24
2016
04
25
Rプロローグ②
―セラフ空域南西部―
雲間を抜ける大きな帝国旗の描かれた戦艦に、いくつもの大小様々な艦が規則正しく隊形をとって付随する。
現在、アーチェル率いる新設された第十七艦隊は、帝国から南西に遠く離れた空域で、空賊等から航路を守る為、哨戒任務に就いている最中であった。
―戦艦「シャムロック」艦橋―
何事もなく進む空の船旅に、アーチェルは退屈感を募らせていた。やる事と言えば、提督席と呼ばれる豪華な造りの椅子で、黙って座って各艦を眺める事だけか、定期連絡の報告を受けるだけであったからだ。
そして、今やっている事は立体型エーテルモニターに魔法端末から艦隊陣形を映し、それを眺めて各艦の具合を見ていることであった。
『あぁ……退屈だ』
アーチェルは、手で顔を隠しながら小さく欠伸をした。
「提督、兵が見ています……ご自重を」
小声でアインスが耳打ちをすると、アーチェルは『わかっている』と手で制した。
「提督、退屈そうですなぁ。どうですか、ここはひとつ白兵戦訓練を皆でするなんてのは?」
そういって話しかけて来たのは、現在搭乗している戦艦シャムロックの艦長、丸坊主と口周りに生やした黒髭が印象的なカツラ大佐だった。本来ならば、鉄拳制裁が飛ぶような上官に対しての口の聞き方だが、帝国軍では戦艦に乗っている限りは艦長が一番敬われるという風習があり、この様な口ぶりでも特に咎められる事は無かった。
『艦長、それは昨日やったばかりだと思うので却下します』
「つれませんな、提督。昨日はそこの副官殿に一人で全部引っ繰り返されたんで煮えきらんのですよ」
とても残念といった表情と口ぶりでカツラは訴えた。昨日も同様に暇であったので、士気高揚の為、全鑑の艦内で紅白白兵戦をしていた。
昨日は、当初有利に進めていた艦長率いる白組が、提督率いる紅組のアインス隊を止めきれず、各所でアインス隊の血祭りにあげられて敗北していた。それが理由で、「もう一度」という心境なのであろう。
「あれは、艦長殿がアインス殿に吹っかけるからマジになってしまったじゃないんですかネ?」
軽い口ぶりで横からひょいと出てきたのは、第十七艦隊参謀長に就任したミカガミ大佐だった。
「だって艦長、勝ったら魔女様にキスしてもらうなんて言ってましたからね。アインスお父さんはそりゃあ怒るでしょうよ」
綺麗な顔立ちに似合わない軽い口調でミカガミ大佐が会話に入ってくると、カツラは仏頂面をして明後日の方向に顔を向けてしまった。アーチェルは、『本当か?』といった表情でアインスを見ると、ただ笑顔を返されるだけだった。
ミカガミは、黙り込んだカツラをニヤつきながら見ていると、アーチェルに退屈しのぎになるある提案をしはじめた。
「……んで、提案なんですが、提督。航路の安全確保は既に保たれているので、今後の為
にもここら辺一帯の調査をすることを提案します」
『それは構わないが、ミカガミ大佐。それは既に行っていることでは?』
アーチェルはミカガミの提案に少し理解しかねるといった表情で訊ねた。既に、周辺空域の風向きや、気候変動の類は調査済みであったからだ。
「あぁ、勿論データの類ではありませんよ。ここら辺一帯の港と、船の調査です。その為に、旅行客に偽装して何人か出そうかと思っているのですが、いかがでしょうか?」
『なるほど……』
アーチェルは、顎に手を当てて相槌を打つと少しの間考え込んだ。以前からセラフ空域では、辺境の空賊にしては武装が整い過ぎているという噂があり、どこかの国から援助を受けていのではないかという憶測があった。例えどんな国であれ、世界国家交流会議の憲章で定められた【対空賊法】により、如何なる援助も出来ないと約束されているはずだった。
『確かにそれはいいかもしれないが、見つけるのにも一苦労だし、少し危険ではないかな?』
そう言って、アーチェルは指を弾くような仕草を見せる。
「確かに危険ではありますが、ここら辺を根城にしている空賊について何か手がかりが掴めるかもしれません。それに、副産物だってあるかもしれませんよ?」
ニヤリと笑ってミカガミは肩をすくめた。要するに、背後にいる武器を供給しているどこぞの国が、装備から割り出せるかもしれないということだろう。
暇を潰すにしても大仕事なので、どうしたものかとアーチェルが再び考え込んでいると、横からアインスがアーチェルに耳打ちをしてきた。
「それでしたら私が調査に赴きましょう。私がここを離れても問題は無いと思いますので」
それを聞いたアーチェルは、
「確かに問題は無いが……」
と言い、目を瞑って考え出した。
暫くして、アーチェルがアインスの提案の許可を出すと、ミカガミとカツラは互いに顔を覗いた後、アーチェルとアインスの顔を同時に見た。
「副官殿が行ってくれるなら大きな戦力になるので問題は無くなるのですが……いいのですか?」
ミカガミは、アインスに問い返しながら、その目をアーチェルに向けた。ミカガミには、アーチェルの懐刀を自分が使用してしまうような感覚で気が引けたのだろう。
『いいのではないかな。ただ、条件がいくつか有るかな』
そう言って、アーチェルはミカガミに目を向けた。
「条件……ですか?」
『アマミヤ少佐は調査系の仕事は得意分野だったので、彼女を同行させて欲しい。他にも、こちらで同行者を選抜しておきます。嫌だとは言わないでくださいね?』
「あぁ、他にも同行者を選んで頂けるのなら、それに越したことはありません」
そんな事かとミカガミが笑いながら答えると、
「では、次に南セラフの駐屯地に寄った時に何個か選抜隊を組織しましょう。私はこれからクリューヴェル大佐にもこの事を直接知らせに行きます」
ミカガミは笑顔で答えると、敬礼して意気揚々と格納庫に歩いていった。
後にではあるが、この場にいたアーチェル以外の人間は、この条件を拒否しなかった事を大きく後悔する事になる。
―交易都市「イズモ」―
交易都市として有名な「イズモ」は、交通の要衝として栄えている。帝国首都より遥か南のセラフ空域中央に位置し、幾つもの小国から成る「セラフ自由都市連邦」、非常に長い歴史を持つ「支月皇国」、商業国として有名な「アルトリア王国」といった国々と帝国との玄関口として栄えている歴史のある都市である。近年は、比較的近隣に植民地を持つ「ルーラント王国」、南方特産品を買い付ける為に現地に国営企業の支社を建てた「サヴァート連邦」等の人々もこの地に来る為、より一層賑わっている都市である。
そんなイズモの一角にある飲食街では、正午が近づいた為か、そこかしこで売り子の呼び込み声や、食欲を誘う良い匂いや煙が立ち上り、多くの労働者や旅行客で賑わっていた。
そして、飲食外の一角にある「八尋殿」と書かれた伝統的な帝国式建築物の料理屋の前にアインスは立っていた。
「さて、ここか……」
アインス看板を見ながら呟くと、料理屋の中に入っていった。
―家庭料理店「八尋殿」―
店に入ると、アインスはキョロキョロと店内を見渡し始めた。現在、アインスはこの料理店で旅行客に扮して一緒に空賊の調査にあたるアマミヤ少佐と待ち合わせる事になっていた。
しかし、いくら店内を見渡してみてもアマミヤ少佐は居らず、如何にも職人といった風体の男や、柄の悪そうな十代の少年、旅行者と見える老夫婦が昼食を楽しんでいるといった光景しか見当たらなかった。
「少し早く到着してしまったか」
と内心思ったが、店内に入ってしまった以上、店を出て行くというのもバツが悪く、ひとまず店の隅にあるテーブルに着いてメニューを広げて眺めだした。
暫くメニューを眺めた後でアインスは料理を決め、給仕に声をかけた。
「豆腐定食お願いします」
注文後、店内の水晶窓から見える飲食街の景色がふいに目に入った。異国とまではいかないが、首都とはまた違った雰囲気で、活気があり、何より色々な国の人間が入り乱れて歩いている光景はアインスには珍しく映っていた。
料理が出てくる迄この風景を見ながらゆっくりしていようとしていると、ふと、窓の外に大きなバッグを持った、見覚えのある長い黒髪の女性がそこにいた。
アインスが手を振ってその女性に合図を送ると、それに気づいた女性がアインスのいる店に入って来た。
「遅れました。アインス大……くん」
「いえ、アマミヤさん。私も今来たばかりなので御気になさらずに」
アインスが笑いながら受け答えると、その女性、アマミヤ少佐は頭を手で掻きながら照れ隠しのような笑いをしていた。
「あはは……アインスちゃん。遅れたのは理由があるのよ、仕方なかったの」
アマミヤは明るい声でアインスの事を「ちゃん付け」で呼び、ゆっくりとアインスの前の席に座った。
アマミヤとアインスは、士官学校時代の同期生で、互いにいつも成績の一、二を争っていたせいか、仲の良い友人といった間柄であった。それと、飛び級で士官学校入りをした同じく同期のアーチェルの護衛やサポートを行う役割を一緒にしていた事もあった。
「実は、今回同行する人が、追加でもう一人来る事になったのよ」
何でも、来る途中でアーチェルの名前で連絡が入り、特徴と名前だけ告げられたという。その情報だと、「腰まである長い銀髪の小柄な女性」で、名前は「ユゲ」という人物だという。服装は「麦藁帽子に白い旅行服で、大きな黒の鞄を持っている」との事だった。
「そういえば、他にも同行者を選抜するとは言っていたな……」
と、アーチェルの言葉を思い出しながらアインスは内心呟いた。
「それで会う場所だけど、一五○○時のルーラント行きの巡航船内の室内レストランで会う予定になっているのよ」
アマミヤはアインスに説明しながら、店のメニューを一生懸命覗き込んでいた。
「だから、時間はまだ余裕はあるわね……あ、給仕さん!野菜炒め定食ね」
アマミヤが元気良く注文をすると、給仕さんは笑顔で「はーい」と受け答えた。
―イズモ空港 第二ゲート―
昼食を終えたアインス達は、空港にある手荷物検査を終え、巡航船に乗ろうとしているところだった。
「いやーさっきのお店おいしかったねぇ。もうちょっと居たかったな。あ、でも次は船内のレストランがあるか」
食事を先ほど終えたばかりのアマミヤは、もう次の料理の事を考えている様であった。士官学校時代にも、同期の倍を平然と食べる姿を見ていたアインスは、仕方ないといったふうにそれを聞いていた。
「それにしても、ゲートにはそれらしい人は見当たりませんね。既にアルトリア行きの船の中でしょうか」
「そうじゃない?何にしても、まずは船内レストランに行く事かしらね」
アマミヤは唇を舌で舐める動作をしながら受け答えた。
アマミヤの素振りを見たアインスは、レストランに行く目的が、
「やはり違う意味に摩り替わっているな」
と心配して呟いたが、「兎に角まずは船に乗るのが先決」と思い直して、船の方向へ進んで行った。
―巡航船「ノースポール」―
アインスは、しばらく過ごす船室を一通り点検し終えた後、アマミヤと一緒に船内レストランに行く為に通路で待機していた。アインスは私服に着替え、奇抜な柄の半袖のシャツを着て、絹のズボンという格好だった。
しばらくして、こちらもまた私服の薄着で登場したアマミヤが通路に顔を出した。胸を強調した服装とミニスカートという露出度の高い格好であった。
「お待たせ。では、噂の娘と御対面に行きましょうか」
そう笑いながら非常に軽い口調で言うと、アインスの返答を待たずに通路をすたすたと歩きだしていた。
―巡航船内レストラン―
アインス達がレストランに着くと、二人はレストラン内を歩きながら件の人物を探すため、店内を見渡していた。レストラン内はとても広く、テーブルもいくつもあった。家族連れや行商といった風体の者同士が雑談をしていたり、酒瓶を片手に仲間同士でポーカーを始めているグループも見える。とにかく人が多く、この中から人を探すのは一苦労といった感じであった。
ひと通り店内を見渡すと、アマミヤがふいにアインスの肩を叩いた。
「あ、多分あの娘がユゲさんじゃないかな?」
アマミヤが指差すと、そこには麦藁帽子を被った腰まである長い銀髪の眼鏡の少女が座っていた。遠くからだったので正確ではないかもしれないが、探している少女は、本を読みながら片手に飲み物を取っている様に見えた。
銀髪の少女は読書に集中している様で、周りをまったく見ていないといった風だった。
そんな少女を見て、アインスは自分の良く知る少女を思い出しながら、「そっくりな方だ」と、内心思った。
「事前情報とほぼ一緒だし、間違いなさそうかな」
アマミヤはアインスにそういうと、その銀髪の少女に近づいて行った。
そして、近づく程にその容姿が銀髪という以外は先程思い出していた、「よく知る少女」とそっくりだという事に気づいた。嫌な予感を抱きながら少女の手前まで来た時、アインスは天を仰いだ後、銀髪の少女を見つめてため息を吐いた。アマミヤもまた、間近で銀髪の少女を見ると、その人物の正体に気づき、唖然とした顔で驚いていた。
「まぁ……アーチェルちゃん?綺麗な銀髪?ね?」
アマミヤがかなり困惑しながら銀髪の少女に問いかけると、
『うーん。やっぱり、二人にはすぐバレたか』
と、銀髪の少女は本をパタン、と閉じて、非常に残念といった風に首を振り、イタズラがばれた子供のような笑いをしながら答えた。
『いや、バレないとは思っていなかったけどね』
「……ご説明願えますね?」
アインスは、鎮痛な表情で問いかけ、目の前の銀髪の少女に現状の説明を求める事にした。
―巡航船内客室「050号室」―
場所をアーチェルが宿泊する部屋に移し、アーチェルは一人用の黒いソファーに腰掛けてアインス達二人に艦隊の状況について説明していた。
『この現地調査に出ている間は、クリューヴェル大佐に留守を任せてきました。今回私がここにいるのも、艦隊司令官として成すべき事があるとの判断からです』
「護衛を付けて来た様なので、これ以上何も言う事はありません。ただ、くれぐれも行動は慎重にお願いします」
部屋の外には二名の護衛が付いてきていた。いずれもアインスもよく知る人物で、テュケ曹長とネメシス伍長という人物である。
『分かっているよ』
勿論といった口ぶりで、アーチェルは答えた。
『大佐、そう怒らないでくれ。事前に副官の君に知らせなかったのは謝るが、何も突拍子もなく、ただの思い付きでこの調査に参加したいと言っている訳でもないんだよ』
アインスはその答えに疑問を感じた様子だったが、アマミヤはあまり気にした様子もなく尋ねた。
「そうすると、何でまたアーチェルさん自らが調査に?」
『それだけど、後学の為にだね』
「後学ですか」
士官学校時代、「対する相手を知らずして、勝利を掴むことは無い。自分の目で見ろ」と教官に指導されていた。これは、士官学校出身者ならば知らない者はいなかった。
『そう、現地を見るのは指揮官の務めだと習ったからね。やはり』
「「なるほど」」
アインスとアマミヤは同時に呟いた。
アーチェル本人は、この教えを忠実に実行しようとしている様であった。
「しかし、それならば最初から私に言って下さればよかったのですが」
この考え方をアインスも理解したのか、どうやら納得したといった表情で問いかけた。
『それは大佐が確実に反対するだろうからね』
「私は以外と信用が無いのですね」
肩を竦めてアインスは答える。
『いや、そうではないよ。心配してくれるのは嬉しく思うよ』
そんな二人のやり取りを見ながらアマミヤは、「あれ?聞き方によっては惚気ている様に……いや、家族か兄妹か、といったところか」と、心の中でそう呟きながら暖かい笑みを浮かべていた。
アマミヤが見てきた限りでは、士官学校時代からこの二人はこんな感じで、アインスの過保護っぷりをよく見てきていた。
特に象徴的な事件をあげれば、野外授業の時、アーチェルが間違えて理性が吹き飛ぶ精神異常系のキノコを料理に入れてしまった時、それを食べてしまった人はしばらく叫び声を上げて走り回っていた中、同じくそれを食べてしまったアインスが、アーチェルに危害を及ぼそうとした生徒を片っ端から叩き伏せていった、という逸話がある。この時、彼自身も完全に理性を失っていたという事が後に判明するが、その時、高台に避難してやり過ごしながら見ていた生徒曰く、「普段と変わらない」だったそうだ。
「骨の髄まで保護者だよね!アインス君は」
そう言ってアマミヤはアインスの肩をポンポンと叩いた。
「保護者……ですか。昔から言われますが、そこまで老け込んだ覚えは無いのですけどね」
実は多少気にしているのか、アインスはあまり良い顔をしなかった。
それを見たアーチェルは、何を思ったか、
『パパ、よろしくね?』
と、悪ふざけをして上目使いにアインスを覗いた。
実年齢よりも若く見られる事が多い少女が言うインパクトは計り知れず、一瞬ではあったがその場の空気が完全に凍りついた。
そして、アインスが青ざめてアーチェルを見つめている中、
「提督、それ。犯罪のにおいがします」
眉を顰めながらアマミヤが小声で呟いた。
―巡航船内客室「105号室」―
『ここが大佐の宿泊する部屋か』
「はい、提督の部屋よりはいくらか狭いですが、ベッドは柔らかいので今夜寝るのに不便はなさそうです」
『先ほど見てきたが、少佐の部屋とまったく同じ造りになっているね』
椅子に座り、紅茶を飲みながらアーチェルは答えた。
「そうでしたか。やはり、どんな艦でも、寝る場所は大体同じなのでしょうか」
アインスは鞄から酒の入った瓶を取り出しながらアーチェルと何でもないような話しをしていた。そんなことをしていると、入口のドアをノックする音が聞こえてきた。
「やっほー、遊びに来たよ」
顔を覗かせたのはアマミヤだった。先ほど、アーチェルから部屋に来るように言われていたので、手荷物を整理してすぐにこちらに顔を出したようであった。
『来たか……さて、早速だが二人には、ひとつ打ち合わせをしたいことがあるのだ』
部屋に入り、なんだろうという様な目でアマミヤはアーチェルを見つめる。
『いやなに、調査中に階級や本名で呼び合うのは良くないと思うので、そろそろ偽名等で呼び合う事にしたく思う』
当たり前ではあるが、調査中に階級や本名を言うのはあまりにも馬鹿げている。
「あぁやっぱそうですよねー」
「確かにそうでしたね」
不慣れな土地で調査となれば、何時どこで誰が聞いているかわからない状況である。アインスとしても、そろそろ切り出したい話でもあった。
『という訳で、私はこれからキッカ・スカイショッカーと名乗ることにする。これは昔帝都図書館で読んだ文献に書かれていた、古の英雄の名前に由来しているのだ。名前、響き共に、いいと思わないかね?』
立ち上がり、同意を求めるようにアーチェルは二人に問うと、
「何か無駄にカッコイイ名前ですね」
「とやかくは言いません」
という、二人の素っ気ない返事が返ってきただけであった。
『どうやら好評ではないか……』
非常にがっかりしたらしく、椅子にペタリと力なく座ってしまった。
その横で、腕を組んで考えていたアインスが、名乗る名前を思いついたらしく、口を開いた。
「では、私はハンス・シュミットで」
「ふつーですね」
『うん、至極普通だ』
アインスが言った名前は、この世界にいくつかある、極ありきたりな名前だった。この反応は当然なのかもしれない。本人は特に気にした様子もなく、それで納得している様であった。
「じゃあ、私はヤツハシ・カイセキで」
『個性的でいいね』
「特に問題なさそうですね」
と、同時に笑顔で答えた。両名としては、おかしな名前でなく、ありきたりでなかったので特に不満は無いようだ。
「でしょ?ヤツハシって凄く美味しいのよ。カイセキも意外と美味しいし」
アマミヤがそこまで言うと、二人は内心、「やっぱり食品か」と、妙に納得して相槌を打っていた。
その後、関係などの打ち合わせを行い、「姉妹と知人」という体で調査を行う事となった。
―セラフ空域西部―
雲海をかき分けて巡航船が進む中、所々に岩や木片が空中に浮いているのが見える。大小様々で、拳程の小さなものから、二階建ての家程の大きさもあるものまで見える。何らかの理由で島から離れ落ちたものが、重力点(ポイント)と呼ばれる場所に引き寄せられて浮いているのである。これらは通称、浮遊物(デブリ)と呼ばれている。
イズモ空港から出発してから、特に問題もなく巡航船は目的地アルトリア王国国境の街への航行を続けていた。
アーチェル達一行は、立ち寄った港で家族写真を撮る体で、港湾に係留されている船の撮影をしたり、航行中に見えた船の撮影も可能な限り行う等していた。傍から見れば、カップルと思わしき男女とその家族達が、旅の記念に写真を沢山撮っている様にしか見えず、順調に情報収集を行っていた。
―巡航船内展望デッキ―
展望デッキでアインスは、やや大振りの撮影機を手に、浮遊物や島を撮影している旅行客を演じていた。デッキ内には、風景を楽しみながら食事や読書を楽しむ旅行客が、疎らではあったが見られ、それなりに賑わっていた。
「それにしても、ここ何日かは空賊がずっと大人しいようだぜ」
「やっぱり、南セラフに帝国艦隊が来ているからじゃないかね?噂じゃあの魔女の再来とかいうのが指揮しているとか何とか」
そんな低い男の声がどこからともなく撮影機を覗いているアインスの耳に入ってきた。どうやら、警戒をした空賊が活動を自粛しているらしい。という話を商人と思わしき男達
が話していた。
「何にしても、心配の種が一つ減るからありがたいこった」
「そうだな!帝国万歳!ってか?」
その後、ひとしきり笑い声を上げた後に、畜産がどうのといった話を男達は紅茶を飲みながらし始めた。
今回、第十七艦隊は、訓練の意味合いが強いものの、哨戒任務を目的としてこのセラフ空域に赴いていた。その効果が実際にあったというのは、聞いていたアインスとしては少しだけ嬉しいところであった。
本来、訓練だからこそアーチェルには旗艦から指揮をして欲しかったところであるが、こうなってしまえば仕方ないのであろう。「今頃、クリューヴェル大佐とミカガミ大佐は大変だろうな」とは思うものの、訓練自体はしばらく続く為、「司令官がいない状態で艦隊が運用されるかを見る……というのも実際必要であったのだろう」と、考えるようになっていた。
そんな事を考えていたアインスは、ふと、のどが張り付くような感覚に気づいた。長い時間集中して撮影していたせいか、のどが渇いていた様だ。
アインスは展望デッキ内の売店で珈琲を買うと、一息つこうと近くの椅子に座った。
「おー、ハンス兄さん。珈琲中かい?私も同席していいかな?」
珈琲を啜っているアインスに声をかけたのは、アマミヤ。もといヤツハシであった。
「いいですよ、ヤツハシさん」
アマミヤ自身も珈琲を手に持ち、飲んで一息つくところだったようだ。
「ところで、この後は当初の予定通りフィヨルドで乗り換えて北回りでイズモに戻るんでいいんだっけ?」
「そうです、このままならそのルートで行くことになりますね」
もう三日もすれば巡航船の目的地、アルトリアとの国境の港には到着するが、そこまで行ってしまえば空賊の活動地域となっている範囲から大きく逸れてしまう。その為、別方面に乗り換えの出来るフィヨルド港から、北に迂回するルートを通ってイズモに戻るのが当初の予定であった。
「それなら……」
そう、アマミヤが言葉を発しようとした時、鈍い音と共に船が大きく揺れた。バランスを崩したアインスは隣にあった椅子に手を付き、アマミヤも珈琲を零さない様に器用に珈琲を中心に自分の体だけ回転させ、バランスを取っていた。
今の衝突の衝撃で、体を投げ出されて倒れた客があちらこちらに確認出来る。中にはビックリして泣き出した子供もいるようだ。
「浮遊物にでもぶつかりましたか?」
アインスが口を開く、
「それにしても、回避して船が揺れるでしょうからいきなり衝突はしないと思うわよー」
アマミヤは、アインスの質問に答えると、何事もなかったように珈琲を啜った。
「ということは……」
アインスが呟くと同時に、船内にけたたましい警報音が鳴りだした。
「船体下部に異物が衝突しました。安全の為、お客様は当船の上部にあるデッキか、レストランへお集まり下さい。【作業員B班】は、船体下部の確認をお願いします。繰り返します……」
避難誘導の放送が船内に流れ、客室乗務員も大きな声を出して旅行客達を誘導している。いまだ船は揺れているが、多くの乗客達は誘導に従って非難をしているようであった。
「アインス君、B班って聞こえたよね?」
「ハンスですよ。ヤツハシさん。」
アインスは、本名で呼ぶアマミヤを注意しつつ笑い顔になっていた。放送で流れていたB班とは、界隈ではよく知られた用心棒の隠語である。つまり、予期せぬ来訪者が来たとみて間違いがないであろう。
「どうやら、我々は当たりを引いたみたいですね」
2016/04/25 (Mon.) Comment(0) 自作小説
Comments